6:30頃起きてしまった。まあいい。
山から日が上がるのが見える。薄靄っぽく、じゃっかん幻想的な朝。よい。
オシャレ着洗いをして干し、アイロンをかける。
清和村の炊き込みご飯を仕込んでおいたらできてしまったので早速食べた。
折角天気の良い休日なのでサイクリングしようと思う。
最近ご無沙汰の山鹿方面、とか思ったが遠い。これまで何となく避けていた田原
坂が目に入った。
相変わらずダラダラ読んでいる翔ぶが如くも間もなく西南戦争が始まりそうだ。
ということで、ようやく田原坂を見るためのバックグラウンドの理解ができた。
今なら見れるよ。
弁天から植木に抜け、まっすぐ進むと田原坂の案内が出てきた。
案内に従って進むと、ほどなく着いた。それほどのアップダウンも無かった。
景色のよい高台。みかん畑や下の方には田んぼなど田園風景が広がる。
田原坂は尾根筋の道で、当時は両側の谷の道は泥濘地なのか街道にはなっていな
かったようだ。
谷の向こう側の山まで1.5km、榴弾砲の射程に入る。
資料館があり、本に寄る背景理解と合わせて当時の文明度、物量などがようやく
わかってきた。案外あるんだな。でも前現代的なライフルでは白兵戦の時は刀が
強く、薩軍も善戦できる。
とか、戦略戦術兵站とかの話は考証しても陳腐になってしまう。実際、どちらも
稚拙なんだ。
「近代国家」と対峙し「外交」というものが発生した以上、やれ武士がどうのと
いう抵抗勢力は一刻も早く淘汰されなければならなかった。鎮台は治安維持部隊
としての軍隊だったが、よく短期間で組織できたものだ。
どうしても現代の議論に通じるものが拭えない。
「外交」を考え、どのような日本を維持しようとしているのか。現政権が目指し
ている方向にも不明瞭な点はあるが、そういう視点が空っぽな野党・お花畑リベ
ラルはお話にならない。
外務省と自民党は同じ方向を向いているのかどうかがわからない。
田中真紀子の「外務省は伏魔殿」発言の意味が少しわかってきた。
というのはサイクリング中には関係ない話で、
その後本当の現存する田原坂を下り、西の谷側の鹿児島本線沿いを南下してフー
ドパル方面から一山超えて飛田へ抜け帰ってきた。
休憩がてらまな板やら天麩羅鍋やら、こたつ布団やらを下見。
黒石原のスーパーだが、いつの間にやらMaxvaluの看板がついている。傘下になっ
たのか。
でもまだローカルスーパー色は残っている。
肉魚が結構いい感じ。そしてなんと、
晩飯を仕込んでから、ロイヤルへ。16:30頃か。
G山君がいた。
今日は、割とイイ感じだったかも。
ヘッドを真後ろに放るように引く。
腰の捻りがあり、バックスイングを大きくしすぎず、コックはしっかり取り、し
かも頭がブレない。これがしっくりくるとイイ感じ。
どこか違和感があるとちゃんとそれなりの弾になる。
3WとDはまだまだだが、それでもハーフショットで球が上がり、方向性もそれな
りの範疇で、Dで150位は気持ち良い球が出るようになってきた。
欲を出さずにじっくりいこう。
今日は少な目で350発+残。
白菜1/4たべちまったい。
豚肉の量も、別皿の鶏とキャベツもあり、かなりの量だった。
でも割とヘルシー?
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